「現在、過去、未来」と責任について

言い方探究会

過去と現在の境目はどこにあると思いますか?

今朝、目が覚めた時は 現在ですか? 過去ですか?

『みなさん、今日、何時に起きましたか?

例えば6時半だとしたら これは過去? それとも現在?

みなさん、今、この文章を読んでいます。朝、起きてからこの本を読むまでに 顔を洗うとか朝食をとるとかいろんな行動をとられたと思いますが それは全て過去です』。

ボールペンでメモ用紙に一本の線を描いてみてください。

書いた線はすぐに過去になります、上に上げる思いが湧けば線は上に、下に下ろそうと思えば線は下に、そうボールペンの1ミリ先が未来です。未来を左右するのは自分自身の思い、考えです。

そうすると現在はボールペンの先っぽ「ボール」の部分だけです。

こう考えていくと皆さんが普段、何気なく使っている現在はそんなに長くはありません。

一瞬、コンマ何秒です。

現在と言うとわりと長い時間をイメージしますが 現在は「今、この瞬間」といったほうがいいと思います。

そして直ぐに過去になります もう元の瞬間に戻ることはできません。

間違えてもあとから修正することはできますが 元の瞬間に逆戻りはできません。

やり直しは利かないが 出直しはできる感覚です。

そう考えると 過去と未来に挟まれた現在が「この瞬間」です。

 

私がイメージしているのは 「おぎゃぁ」と生まれた瞬間から1秒ごとに写真を撮り、スライドショーにしたのが私たちの人生だと思われます。 例えば二十歳の方は生まれてから 六十秒✕六十分✕二十四時間✕三百六十五日✕二〇年=630.720.000枚(秒)の写真のスライドショーです。

 

写真の中では、 自分が一秒ごとに行動を選択しているのが 現在(今)です。

一秒ごとに選択して行動している‼? 実感がありますか?

実感はわかないと思いますが・・・・正確には直前の行動を続けるという選択も含まれていますので……現在に長さを感じるかもしれません。

そう、なかなか 実感はわかないとは思いますが 朝目覚ましが鳴って、すぐ起きるか、そのまま寝るかの選択、すぐ起きても、トイレに行く、行かない。エアコンのスイッチを入れるなど いろんな朝のルーティーンの中から今朝行動を選らんだ結果が今に続いている。 二つのことは決して同時にすることはできませんし、しなかった方はすぐに消えていきます。したほうだけつながっていきます。

今の瞬間、今いるその空間の中で行動を連続して選択し続けているのが人生です。

もちろん赤ちゃんには行動の選択肢はありませんが 幼い時は主にお母さんが選択しています。しかし、気に入らないときには泣いたり、駄々をこねて知らせることができます。

繰り返しお伝えしたいのは、すべての行動の責任者は常にあなた自身です。

 

お母さんが起こしに来ても「起きない」という行動を選び 学校に遅刻をするという結果の責任者はあなた自身です。  起こしに来たお母さんの責任ではありません。

よく「お母さんがちゃんと起こしてくれなかったから遅刻した」という人もいますが それはお母さんの「せい」にしているだけで 責任は行動の主体であるあなた自身です。

そして そのペナルティも自分自身で受けます。 その場で言い訳を言って言い逃れても 責任のポイントは溜まっていきます。 誰も逃げることはできません。 たまたま逃げることができても無責任な人格の形成という形で必ず自分自身に返ってきます。 そういう人になると他人から信用されず人生で大きな損失となります。

あなたはすぐ言い訳をする人に大切な要件を頼みますか?

自分で選べない人もいると思います。なんでもかんでもお母さんに聞きます。そしてお母さんの言うとおりの選択をします。 一般的にはよい子とされていますが そういった人は実は自分の人生ではなく母親の「影」の人生が出来上がります。 思い通りの結果にならないときは母親の「せい」になりますしどこかで歪みが生まれます。引きこもりの人はこういった体験によるケースもあると思います。 小さいころ一々母親が口を出して育てると自分で決めれない子になります。占いにはまる人も同様です。自分で決められないので何かに頼る。自分自身の人生を放棄したようにも私には映ります。

 

私は周りの意見は参考にはしますが最終的には自分のことは自分で決めます。 誰かにアドバイスをもらっても強いられても最後は自分自身の判断を優先します。最終的に全ての決定権を持っているのは行動する本人です。 もちろん私自身、誰かにアドバイスすることもありますが相手がアドバイス通り行動しなくても何も思いません。

そして誰かに行動を依頼するときは 常にそれを行動する人が決定権を持っていることは忘れません。「今忙しい? ちょっとお願いがあるけど聞いてくれる?……」など

こうな風に 「言い方」には慎重に言葉を選び説しますし、自分の意図に沿って相手が動いてくれたら心から喜びます。 もし動いてくれなくても私の貢献不足と「言い方」が悪かったと反省し次につなげます。 思い通りに動いてくれなかった相手への感情は極力抑えるように心がけています。

 

ポイントは常に自分と周りの人の行動を主体として分別することを心がけることです。

この文章を読んでいる今の状況は全てあなたが選んだ最適な状態だと思います。

今着ている洋服、履いている靴、たとえ奥さんが選んで購入した品でも今日着てきたのはじぶんですし、今、目に映る風景、今、置かれている状況も含めすべて自分が細かく選んだ結果です。

結婚もそういう伴侶を選んだのはあなた自身です。どんなに悪口を言ってもいくら喧嘩をしても目の前の選択肢は離婚するか結婚を続けるかの二者択一しかありません。

我慢し結婚を続けることを選んだ人の次の選択肢は 相手のいいところを深めるとか 普段の言い方を変えてみるとかいろいろと細かい選択肢の中からいくつも選べます。

そういうことを重ねていくと自分自身の性格も自然と変わってきて関係性も改善されます。

皆さん、性格はなかなか変えられないと思っている人が多いと思いますが 私は人の性格はこれまでの体験から生まれたと考えています。

強情な性格は 幼い時から我がままを通し続けた結果だと思いますし ある時期いじめを受けるという体験をした人は殻にこもる性格になる人もいますし、やさしい思いやりのある性格、逆に相手をいじめる性格になるかもしれません。

いずれにしてもその体験から性格が生まれます。 両親の影響も大きいと思います。

ここである一人の人を例に出します。

 

Y君三十五歳。人生を0歳から紐解いていくと。

三十五年前ある両親の元に広島県で生まれる。 焼山こばと幼稚園、昭和西小学校、昭和北中、呉宮原高校ののち東京の武蔵大学を卒業。帰郷し地元の精密機械のメーカーに就職、社内恋愛の末三十一歳で結婚し現在妻と三歳の女の子の三人家族です。

たとえば 彼が昭和南小に進んだ場合を考えてみると出会う友達、先生が違います。

ある先生の出会いによって勉強にスイッチが入り、中学校は私立に行くかもしれませんしそのまま昭和中に進むかもしれません。もちろん部活も違いますから サッカー選手になる可能性もあったかも……考えていくと三歳の子供さんも生れていないかもしれません。

三十五年間の選択の連続が今の状況を作ると同時に今の性格も作っている。

 

一方、二十五年後を考えてみると 大きいところでは このまま今の会社で働くという選択と辞めるという選択を常に持ったまま働いています。細かいところでは会社や家庭で関わり合いのある全て人とのやり取りから生まれる選択です。する、しないの選択肢の中から選んだ「する」の連続です。

 

60歳になったとき どんな自分でどこにいるか、その時何をしているか、さらにどんな性格になっているかはこれから自分が選んだものによってつながっていきます。

私自身の二十五年前と今の環境、性格は全く異なっています。

見えてきましたか? これからあなたが何を大切にどう生きていくかが全てにつながってきますし、一秒前にも決して戻れません。 失敗してもやり直しはできませんが ただそこから学んで次の選択に生かすことはできます。

 

私はこれから「豊かで上質な人生を歩む」という理念を すべての選択の物差しにあてはめ生きて活きます。

皆さんはこれからどんな理念で生きて活きますか?(活きるは活魚のようにピチピチと生きる)

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